悪いことは続くものです。朝、6時になってもだれも起きてきませでした。まだ暗いアルベルゲを、独りで出発しましたが、ウォーキング・ポールを忘れていました。自動ロックの玄関からいったん出てしまうと、後戻りはできませんでした。実は前回の巡礼でも、同じことをやっています。やがて起きてきた英国人のおばちゃんに合図して開けてもらいました。後で気づきましたが、電源の変換プラグ(スペインはC型)も忘れていました。注意力が散漫になっていたようです。
巡礼路は霧雨に煙っていました。このカミーノで初めてのお湿りでした。それも気分を暗くしました。
メリデで待望のプルポを食べ、白ワインのコップ酒で気を取り直して歩きました。
ところが、リバディッソの私営アルベルゲで再び突き落とされました。管理人のホスピタレイノ(男性はホスピタレイロ)が、とにかくにぎやかでした。大きな声でずっと話していました。
そういえば前回の巡礼の帰り道、サンティアゴ・デ・コンポステーラから乗ったrenfe(スペイン国鉄)で、通路の向こうに座った男性が、マドリードに着くまで途切れることなく隣の女性に話しかけていました。何を話しているかはわかりませんでしたが、何をそんなに話すことがあったのでしょうか。
ホスピタレイノのあまりのうるささに、静かな午後のシエスタ(昼寝)もままなりません。裏庭の木陰に逃げ出して日記を書いたりして過ごしました。
夜になっても相変わらずのボリュームでした。1階に泊まっている団体客とおぼしき一団とのロビーでのにぎやかな話し声が、吹き抜けの2階寝室まで響き渡りました。たまりかねて「シー」と言いに行った同宿者もいました。でも効果はゼロ。「お・も・て・な・し」という概念は存在しないのかと疑いました。
よほど興奮していたのかもしれません。その夜は、悪い夢を見ました。悪魔の一撃をかわそうとした瞬間、ベッドから転げ落ちました。下段でよかったです。こんな体験、小学生の時に疑似チフスの疑いで隔離入院した病院のベッドか落ちたとき以来でした。
サリアで出会った地方国立大の学長夫人の優しいことばが蘇ってきました。「涅槃の道を楽しんできてくださいね」
ああ、まだまだ修行が足りませんでした。
【2016/09/27】
【06:31】
アルベルゲの食堂にポールを忘れました。出入口のかぎは、外からは開かないのでちょっと慌てました。しばらくして起きてきた英国人女性に合図して、開けてもらいました。
【06:50】
パラス・デ・レイの町を出ました。この朝は、細かい雨模様でした。雨具の上着は、寒さのため朝はいつも着用していました。
【08:10】
バルでの朝食。さすがに外で食べている人はいませんでした。
見覚えのある風景でした。
【10:02】
この橋を渡ればメリデの町はもうすぐでした。赤いザックカバーをつけています。
ちょっと記念撮影。左足首の痛みも、たいぶ落ち着いてきました。
待望のプルポでした。
メリデに到着したのは、まだ10時半でした。でも、これを楽しみに歩いてきました。突撃しかありませんでした。薄暗い店内は、先客は若い巡礼者が一人だけした。
大きな鍋にタコがいっぱい茹でられていました。
頼むと、一匹、いや一尾、一舟かを取り出しました。
ハサミでぶつ切りにしました。あとはオリーブオイルをドバーッとかけて、パプリカを振りかければできあがりでした。
ほんもののプルポでした。
楊枝に突き刺していただきました。日本の蛸わさよりは柔らかかったです。うまい!
永年の夢が叶いました。
まだ早い時間ですが、ワインも頼みました。ボトルとともに出てきたのは、日本の湯飲みのような器でした。
通りかかったよく一緒になる韓国人カップルを呼び込んで、ひろみさんともに乾杯しました。
前回はスタンプを押してもらった教会は、閉まっていました。
ロバが、ドナティボ(寄付)を求めていました。
モホンの上には、メリデのプルポの店で飲んだのと同じワインボトルが置かれていました。
放牧牛が草をはみ、ゴルフ場のグリーンのようになっていました。
巡礼路は、この行列でした。団体ツアーのような軽装の人が多かったです。
8月25日から歩き始めた巡礼も終盤まできました。季節も移り、秋めいてきました。
リバディソ・デ・バイショのアルベルゲに泊まりました。近くを川が流れていて、気持ちのよさそうでした。
夕食はアルベルゲ近くのカフェで食べました。巡礼定食にもちょっと飽きて、単品のパスタとプレーンオムレツ、トマトのサラダで済ませました。