帰国後のある日のことでした。翌日は義父の三回忌でした。妻がダークスーツを出してくれました。試しに着てみると、ぴったりでした。でも、何だかヘンでした。ラベルを見ると、なんと独身時代に実父が作ってくれたテーラードの上物でした。
わたしのウエストは、歳とともに太くなりました。このダークスーツも着られなくなって、吊るし(レディー・メード)の安物に買い替えていました。
巡礼に出発する前年夏の体重は66キロ余りでした。学生時代より10キロほど太り、ここ何年かはこの体重でした。時間ができたのと巡礼を意識して、秋からアスレチック・ジムの会員になって週に2-3回、汗を流すようになりました。1回2時間ほどの運動でしたが、効果はありました。妊婦さんのように膨らんでいた腹が、若干なりともへこみました。体重も2キロは減りました。
巡礼から帰って来て体重計に載ると、なんと61キロ台しかありませんでした。スラックスのベルトが、さらに1段、細くなっていました。
巡礼中は、おいしいものを食べ、ビールやワインをしこたま飲みました。結構、野放図な毎日のはずでしたが、それでも吸収するより、消費するエネルギーの方が多かったことが見事に証明されました。
減量にも効果があるサンティアゴ巡礼です。
ところで父が作ってくれたダークスーツや、その父の葬儀の日に初めて腕を通したモーニングスーツは、京都・三条にあった某テーラー製でした。梶井基次郎の小説「檸檬」に出てくる洋品店「丸善」が当時にあった辺りです。父はここで何年間に1着のスーツを誂え、それをシーズン通して着ていました。わたしはそこで給料の大半が飛んでいくようなスーツを誂えくらいなら、バーゲンの吊るしを何着か買って、それを着まわすサラリーマン生活を送ってきました。
さらには、着の身着のままに近い汗臭い服でも気にならずに、毎日同じ服でスペインの巡礼路を歩いているほうが楽しい人間に育ちました。
【2016/09/25】
【06:40】
やはり休養は必要でした。サリアで連泊してゆっくりとしたので、なんとか歩け続けそうと、それでも若干の不安を抱きながらの出発しました。
旧市街のはずれでサリアの町を見下ろしました。まだ真っ暗でしたが、一度歩いたことがある道だけに気が楽でした。
ガリシア州に入って、すっかり景観が変わりました。
サリアから歩き始めた巡礼者も多かったです。薄汚れたサン・ジャン出発組と比べて靴やザックがきれいなので、すぐにわかりました。
墓地ではツアーご一行様が、輪になって讃美歌を歌っていました。「般若心経」のようなものだったのでしょうか。初めて見た光景でした。
【10:23】
やっとのことで到達しました。聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで「あと100km」のモホンでした。
でも、今回もちょっとヘンでした。3年前と場所が違うし、肝心の数字もフェルトペンで書かれていました。
「写真、撮ってやろう」という申し出にありがたくポーズを決めましたが、半信半疑でした。
やはりさっきのは偽物でした。こちらのモホンは、「km100.000」と石に刻み込まれていました。それをフェルトペンでなぞっていました。
いたずらまで前回と同じでした。
ガリシア州に入ると、すべてのモホンが一新されていました。3年前は、0.5kmごとに規則正しく立っていました。
新しいモホンは、距離数こそ小数点以下3ケタと正確ですが、間隔は適当です。前の方が良かった気がします。おまけに距離表示は、別のプレートを張り付けているので、剥がされてなくなっているものが多いでした。
イシロイバナは、同じ場所に同じように咲いていました。
前回の巡礼で休憩した覚えがあるバルまでやって来ました。
同じようにコーラを飲み、同じようにおいしかったです。
【11:44】
ポルトマリンが見えてきました。なんとか歩き切れそうでほっとしました。
ダム湖にかかる橋を渡ればポルトマリンでした。ゆっくりと歩いてきましたが、昼前には到着しました。
最後の階段はちょっと苦しかったです。
【14:02】
昼飯はカフェでアーリオ・オーリオ・ペペロンチーノを。オイル系のパスタは珍しく、唐辛子もよく効いておいしかったです。
たっぷりとタカノツメが入っていました。
出てきたボトルを試したくて、オイルを注いでみました。辛かったです。
夕飯は、知り合ったコリアンくんが「一緒に食べますか」と招待してくれました。ワインを買って合流しました。
自炊のチャーハンがおいしかったです。
ダム湖に沈む前に移設されたサン・ニコラス教会です。
お世話になった公営アルベルゲです。