イラゴ峠(標高1505メートル)には「鉄の十字架」が立ってました。といっても全体が鉄でできているわけではなく、8メートルほどの木の柱の先に設置されていました。
カミーノの道中で、古来から聖なる地としてあがめられてきました。ペルグリーノは出身地で拾って願いを込めた石を持参して、この十字架の下に置いていく習わしが受け継がれています。
わたしも準備していました。その年の5月に、娘の安産祈願で大阪・住吉の住吉大社に参りました。太鼓橋で知られる神社です。お参りを済ませて、「御所御前」といわれる「御祭神の住吉大神が降臨した地」を歩きました。そこにあったのが「五大力石守」でした。住吉大社のパワースポットでした。狭い石柱の間から腕を突き出して、玉砂利の中から「五」「大」「力」と書かれた小石を拾いました。その時点で、鉄の十字架まで持っていきたい、いや持っていこうと考えていたのです。
それをお守り袋に詰めて、ザックに忍ばせてきました。3つの文字が書かれた石を取り出して、十字架の下に置きました。妻や母、家族の健康、孫の生育、そして娘の安産なんかを祈願しました。
玉石混交というのもおかしいですが、いろんな宗教、習わしがごったまぜになっている気もします。でもそのときのわたしは、ここまでやってこれたという満足感でいっぱいでした。
帰国後の12月。今度は鉄の十字架でいただいてきた3つの小石に、五大力と書き込んで住吉大社に返しに行きました。3つの石の出身国は違ったかもしれません。願いが叶ったときには「倍返し」するのがしきたりでしたが、それはできませんでした。
わたしの宗教観は、せいぜい縁起かつぎくらいのことです。正月には京都の実家近くにある上賀茂、下鴨神社に詣で、彼岸には亡父が眠る宇治・興聖寺に参ります。J・S・バッハのマタイ受難曲は、一番好きな音楽です。そして、サンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂では、巡礼者のミサに出席しました。聖体拝領を受けることはできませんでしたが、敬虔な気持ちになりました。ボタフメイロ(大香合)のたなびく煙を浴びて、身が清められました。
【2016/09/19】
フォンセバドンのアルベルゲは、朝食付きでした。
ヨーグルトにシリアルという珍しい組み合わせでした。
【06:53】
朝食を食べての、ゆっくりのスタートとでした。
イラゴ峠を越えてポンフェラーダまでは28キロほどのステージでした。
【07:23】
半時間ほど登るとイラゴ峠(1505m)に着きました。鉄の十字架がそびえいていました。
到着したときは、月明かりの中でした。
十字架の下には、多くの願いがこめられた石が置かれていました。
わたしも準備していました。
住吉大社のパワースポットでいただいた「五大力」でした。御守りとして、ザックに忍ばせていました。
妻や母、家族の健康、孫の生育、娘の安産なんかを祈願して、石を置きました。
御守りがなくなるのは心もとなかったので、どなたかが携えてきた小石を3個いただき、御守り袋に詰めました。後日、住吉大社にお返しに行きましょう。
またひとつ、峠を越えました。あと220キロほどでした。
山道を下りました。馬用の水飲み場がありました。
【08:27】
やっとこの日の日の出を迎えました。
クルマの売店がありました。ジュースを飲んで一服しました。
これから下っていく道が見えていました。
【10:30】
エル・アセボの町を抜けました。
山道は続きました。
【11:32】
キンタ・アウグスティア教会を横目にしました。ここの鐘楼は立体的になっていました。
アーチが美しい「巡礼者の橋」を渡ればモリナセカでした。
モリナセカの町を巡礼路が貫通していました。
町を抜けたところに「CAMINO友好記念碑」が立っていました。四国お遍路とのつながりでした。建立者に名が刻まれている「NPO法人遍路とおもてなしのネットワーク」の松岡敬文さんとは、偶然にもこの後、サリアの町でお会いしました。
時なはこんなこともあり9ました。上下の矢印が違う方向を指していました。地図で確認しました。
ノウゼンカツラだしょうか。
【13:12】
やっとポンフェラーダが近づいてきました。はるかかなたに教会の尖塔が見えてからの道がやけに長かったです。
マスカロン橋を渡って、やっと旧市街になりました。
アユンタミエント広場に到着しました。
新市街のオテルにチェックインして、再び広場に戻ってきました。
カフェでのんびりと昼飯にしました。
ポンフェラーダの広場のカフェです。海鮮サラダでいっぱい。最高のひと時でした。
バシリカの祭壇。
守護聖人である樫の木のマリアが祀られていました。
12世紀に建造されたポンフェラーダのテンプル騎士団の城です。でも、シエスタのため、内部には入れませんでした。
オテルに戻る道すがら、城を振り返りました。
夕飯は、オステル近くのカフェで、ピザを食べました。
ツインのきれいな部屋でした。
「バスタブ付き」という条件が気にいってBookinngComで予約していました。ところが部屋に入るとシャワーしかありませんでした。フロントに戻り、おばちゃんと交渉。「この値段ではこの部屋」といった態度でしたが、スペイン語対無茶苦茶英語で対決していると、根負けしたのか「わたしが見逃すは」みたいなウインクをして別の部屋のキーを渡してくれました。最初より2ランクくらい立派な部屋でした。