夕刻のアストルガの広場でSさんと出会いました。「いま、Kさんとスパゲッティを作って、食べたとこですよ。一緒だったらよかったのに」。わたしは2人とは違うアルベルゲに泊まっていました。
日本人ペルグリーノが持っていた最もポピュラーなガイドブックは「聖地サンティアゴ巡礼」(NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会、ダイヤモンド社)でしょう。帰国後に改めて読み返すと、アストルガのページには「坂を上った広場のすぐ左手に・・・公営アルベルゲがあり、日本友の会とも交流がある」と書かれていました。これを読めば、その夜の宿は確定するでしょう。現在も、日本人女性がボランティアで働いておられます。
わたしもこの本は、何度も読んでました。ラインマーカーでカラフルになっています。それでも持ち歩くガイドブックはひとつと決めました。思案の末に選んだのは、「A Pilgrim’s guide to the Camino de Santiago 」(John Brierley)の方でした。決め手は、地図が載っていることでした。友の会の方はPDF化して、スマホに入れていました。ときどき、スマホの小さなページに目を凝らしてもいましたが、この日は読んでいなかったのでしょう。
中学生のときに山登りを始めて以来、国土地理院の発行する5万分の1地図は必携品でした。実際に歩いたルートには、赤線を引きました。地図を読むことはもとよりそれが増えていくのも楽しみでした。知らない道を歩くときは、地図がないと不安になります。
John Brierleyのガイドブックは、英語圏のペルグリーノには絶大な支持を得ているようでした。平均的な1日の行程が、概略的ではありますが1ページの地図となってます。その地図には、通り過ぎる町や村などの地名、アルベルゲやオテルなどの宿泊施設はもとより、教会から水飲み場まで、そして主な区間の距離などが細かく記されています。
別のページには、アルベルゲなら18/3(ベッド数/部屋数)といった規模、料金や特徴などのデータがついてます。教会や見るべきスポットのガイドも充実しています。
わたしは、こちらを選んだので、おおかたの日本人ペルグリーノと一定の距離感を保てたのかもしれません。とはいえ、英語です。疲れ果てたアルベルゲのベッドで読むのはひと苦労でした。
インターネット上のガイドやスマホ・アプリも、いくつもあります。わたしもいくつかのアプリをインストールしていました。計画段階では、たいへん重宝しましたが、実際に歩いてみると、地図なんてなくても、ホタテ貝や黄色い矢印を追っていると、サンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着くというのも現実でした。ま、巡礼の荷物が重くならないよう、気にいった1冊で身軽になることです。
【2016/09/16】
【06:38】
アルベルゲを出ました。 大聖堂の町、アストルガまで20kmほどのステージでした。
歩き始めるとちょっと雲に隠れて満月が出ていました。日本ではこの日が中秋の名月でした。丸い月を見ながらずっと歩きました。
【07:25】
国道沿いを進みました。ずっと月が輝いていました。
あと322km。
【08:00】
まだ西の空に満月が。
【08:24】
日の出。やっと月が太陽と入れ替わりました。
モホンが朝日に輝きました。
【08:59】
プエンテ・デ・オルビゴのカフェで朝食にしました。カフェ・コン・レチェには、たっぷりの砂糖を注ぎました。
ロワッサンには、チーズとハムがはさまっていました。
13世紀につくられた長い橋が架かっていました。
オスピタル・デ・オルビゴの町を通過しました。かわった枝ぶりの街路樹が生えていました。
古い荷車が放置されていました。いつまで使っていたのでしょうか。
巡礼路は2つに分かれました。車道を離れて気持ちがよい道を進みました。
あと280km。朝に322kmを見たばかりです。どちらも信用できまえん。でも確実に近づいてはいました。
仔牛がケージで育てられていました。こんなの初めて見ました。
【10:42】
案山子も巡礼中でした。
スパイラルがここにも。向こうがドナティーボの屋台でした。
ドナティーボの休憩所。よく冷えたスイカが甘かったです。
【11:54】
アストルガを見下ろす高台までやってきました。
大聖堂が近くなってきました。
【12:33】
アストルガの私営アルベルゲにインしました。暖炉の火が恋しかったです。
昼飯は近くのカフェでスパゲティ・カルボナーラにしました。6€でした。
大聖堂やガウディの司教館も、午後の2時間はシエスタ(昼寝)でお休みでした。
夕刻に出直して、ガウディの司教館を見学しました。バルセロナのサグラダ・ファミリアで知られるガウディは、巡礼道にも作品を残しています。
独特の曲線の世界でした。
司教館として設計、建築が始まりましたが、途中で意見対立からガウディが手を引いた建物です。
司教の部屋でしょうか。使われたことはありません。
こちらは食堂でしょうか。
大聖堂のファザードです。精巧な彫刻が施されていました。
祭壇も立派でした。厳かな雰囲気が漂っていました。
同じ大聖堂でも、威圧的だったブルゴス、華麗だったレオンとは雰囲気が異なりました。
アストルガの大聖堂。荘厳な雰囲気だった。
マヨール広場に戻りました。にぎわっていました。
チョコラテリア(チョコレート店)があちこちにありました。
スペイン南部のセビージャから北部のヒホンを結ぶ銀の道が通っており、カカオが持ち込まれていた名残だそうです。
【19:20】
広場に面したバルで巡礼定食を食べました。プリメロは野菜のスープでした。
メーンは豚肉のスープ煮?
デザートはここもアイスクリームでした
これほどアイスクリームを食べたのはいつ以来だったでしょうか?
広場のカフェはいつまでもにぎわっていました。
【20:41】
大聖堂がシルエットになって美しかったです。